11月3日から始まる4連休を活用して計画も立てずに急遽関西方面への旅に出ることを決意。埼玉の自宅を前日の夜23時に出発してドライブを楽しみながら各地に立ち寄り、連休初日の13時ごろには滋賀県の長浜市と彦根市の境付近へ到着しました。道中、「関ヶ原の陣跡地」巡りや「比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)」参拝など様々な訪問先を思案したものの、最終的には歴史深い滋賀県長浜市にある羽柴秀吉(はしばひでよし)が築城した名跡・長浜城へ足を運ぶことに決めました。急な旅路の中で出会った城跡は歴史ロマン溢れるひとときを提供してくれました。
【長浜城 ~秀吉ゆかりの「出世城」として蘇る歴史の舞台~】
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滋賀県長浜市にある長浜城は、かつて浅井長政(あざいながまさ)が治めていた頃は「今浜(いまはま)」と呼ばれていました。1573年(天正元年)、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が浅井氏討伐の功績により織田信長からこの地を与えられた際、信長の名から一字を拝領し「長浜」と改名されたと伝えられています。現在の天守は1983年、犬山城や伏見城をモデルに復元されたもので、市立長浜城歴史博物館として地域の歴史紹介に活用されています。また、秀吉が織田家の中で出世を果たした地であることから「出世城」とも呼ばれており、その歴史的な背景にちなんだ愛称として親しまれています。
駐車場から豊公園を抜け、市立長浜城歴史博物館へと向かいました。天守に隣接する博物館へは駐車場から車いすで移動したものの、途中には思いのほか急な登り坂があり、少し苦労しながら進みました。帰路は下り坂となりますが、予想以上にスピードが出やすく転倒を避けるために慎重に車いすを操作しながら駐車場まで引き返しました。坂道ならではの注意が必要であると改めて感じるひとときとなりました。
▲豊公園駐車場近く
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【長浜城歴史博物館 体験レポート】
まず1階の受付前に数段の階段がありますが、車いす利用者のためのリフトが設置されており、スムーズに受付まで移動できました。2階、3階の展示室にはエレベーターが完備されているため、車いすでも安心して見学することができます。
ただし、残念ながら4階の茶室や5階の展望台へは車いすでの移動ができませんでした。館内には多くの歴史的資料が展示されており、撮影は禁止されていましたが目の前の史料に圧倒され思わず興奮してしまいました。
また、身体障害者手帳を受付で提示すると入館料が無料になるサービスもあり、気軽に歴史を学べる機会があることに感謝しています。バリアフリー対応も進んでいるので、誰でも安心して来館できる施設だと感じました。
※また、長浜城歴史博物館では、身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳などを提示すると、ご本人だけでなく付き添いの方1名も無料で入館することができます。バリアフリーへの配慮だけでなく、こうした制度があることで、より多くの方が歴史に触れる機会を持てるのは、とてもありがたいと感じました。
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【長浜駅「出会いの像」 ~秀吉と三成を結んだ三献茶の逸話と日本的美徳~】
長浜城歴史博物館を訪れた後、長浜駅にある羽柴秀吉公と石田三成公の「出会いの像」に足を運びました。
この像は、歴史上有名な「三杯の茶(三献茶)」の逸話にちなんで建立されたものです。伝えによれば、近江国(現在の滋賀県)の寺院で、鷹狩り帰りの秀吉が喉の渇きを覚え、寺の小姓に茶を所望しました。寺小姓は最初に大きめでぬるめの茶を、次に少し小さく熱めの茶を、最後に小振りな茶碗に熱い茶を差し出します。最初は喉の渇きを癒やし、徐々に茶の味を楽しめるよう配慮した細やかな心遣いに秀吉は大いに感服。彼を家臣として迎えることになりました。この寺小姓こそが、後の石田三成であると伝えられています。
長浜駅の「出会いの像」は、二人の運命的な出会いと心遣いを大切にする日本的美徳を現代に伝えるシンボルとなっています。
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【豊公園入口に輝く瓢箪(ひょうたん)のオブジェ ~秀吉ゆかりのシンボル~】
豊公園の入口にひときわ目を引く瓢箪のオブジェが設置されています。
戦国武将・羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の馬印が「瓢箪」だったことに由来します。

千成瓢箪(せんなりひょうたん) ~羽柴秀吉の出世を象徴する縁起物~
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)といえば、「千成瓢箪(せんなりひょうたん)」の馬印が有名です。大将の目印として掲げられる馬印の中でも、千成瓢箪は秀吉の武将としての出世を象徴する特別な存在でした。
この千成瓢箪の由来は、秀吉がまだ木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)だった時代、「稲葉山城(現在の岐阜城)」を攻めた際の逸話にさかのぼります。軍師・竹中半兵衛の進言で裏門から奇襲攻撃をかけた秀吉は腰に下げていた瓢箪を竹の先に掲げ、これを合図に兵を呼び寄せ、見事城攻めを成功させたと伝えられています。この鮮やかな武功をきっかけに秀吉は戦で勝利するたびに瓢箪を一つずつ増やし、やがて「千成瓢箪」と呼ばれるようになりました。
千成瓢箪は秀吉の立身出世の象徴として、庶民の間でも広く用いられるようになります。今でも瓢箪は幸運や幸福をもたらす縁起物、さらには出世を願う人々にとって心のシンボルとして親しまれています。秀吉のサクセスストーリーとともに語り継がれてきた千成瓢箪は、時代を越えて人々に勇気や希望を与えているのです。
【秋の弾丸歴史ツアーを終えて ~島津義弘グッズと次なる歴史旅への期待~】
帰路の途中、養老サービスエリア(上り)に立ち寄り、関ヶ原の戦いで活躍したお気に入りの戦国武将・島津義弘公のグッズを数多く購入。どれも大切に使いたい逸品となりました。こうして、計画なしの弾丸ツアー秋の陣は充実と興奮のうちに幕を閉じました。
次回は、関ヶ原の戦い陣地巡りや、彦ニャンで知られる国宝彦根城、そして歴史と自然が織りなす比叡山延暦寺への訪問を検討しています。新たな歴史旅への期待に胸を膨らませながら、今回の旅路の余韻を楽しみたいと思います。
文/写真:大ちゃん TOPイラスト:ミウラーマン
<バリアフリートイレ>
▼豊公園駐車場近く
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▼本丸跡近く
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長浜城歴史博物館
<開館時間>
・AM9:00~17:00(入館受付時間は16:30まで)
<休館日>
・毎週月曜日(月曜日が祝日・休日の場合は開館し、翌平日が休館)
・年末年始(12月27日から1月2日まで)
・その他、点検や展示替え等による臨時休館、一部閉室あり
・警報発令による臨時休館:「大雨、暴風、大雪等を含む特別警報」および「暴風を含む警報」が発令されている場合、臨時休館する場合があります。
※詳しい詳細に関しては下記HPをご確認願います
<長浜城歴史博物館HP>