世界で活躍する女性アスリートの輝きに迫る企画「パラ・ビューティー」。今回は、車いすダンスの選手・安部彩夏さんをご紹介します。車いすダンスの魅力について語っていただきました。
 


目次
1 車いすダンスとの出会いが変えてくれたこと
2 初めての大会出場で自信に。技術磨きには歯がゆい思いも…
3 娘に輝いている姿を見せたくて、5年のブランクを経て復帰



車いすダンスとの出会いが変えてくれたこと

車いすダンスとは、健常者と車いすのダンサーが2人で踊る社交ダンス。日本では、30年くらい前から始まっている、障がい者が参加できるダンス競技です。

安部さんが車いすダンスを始めたのは、小学校高学年の頃。車いすダンスを始めていた車いすユーザーの友達に誘われたのがきっかけだったそう。


「それまでは趣味もなく、ましてやスポーツなんて全くしていませんでした。車いすに乗っている私に、できるわけがないと思い込んでいたんです。でも友達に誘われて車いすダンスの教室を見に行ったら、みんな驚くほど自由に動いていて。車いすでこんなに動けるんだ、回れるんだっていうワクワク感が、すごく印象的でした」

車いすダンスを体験してみて、すぐに魅力を感じた安部さん。すぐに教室へ入会し、競技を始めました。それから今まで、15年以上続けています。

安部さんにとって、車いすダンスの魅力は、自分を表現できるところなのだとか。「音楽にのせて踊りながら、『車いすでもこんなに踊れるんだよ』と見せられるのが嬉しい」と話します。

さらに、もう一つの魅力が、健常者と作り上げられるところ。車いすダンスを始めてから、価値観が変わったと言います。

https://youtu.be/-M8ZECvJdyw

「以前は引っ込み思案で、言葉が不自由だから話すことも苦手でした。だから健常者の方と関わることに苦手だなと思うこともあったんです。でも車いすダンスを始めたら、その気持ちは乗り越えられました。健常者のパートナーと話し合いながらダンスを作り上げていくうちに、『みんな受け入れてくれるんだな』と感じられるようになったんです。こんな感覚は初めてでしたね」

さらに、車いすダンスを始めてから変わったのは価値観だけでなく、体にも変化があったのだとか。

「車いすダンスを始めた時は、普段もずっと車いすに乗っていたのですが、ダンスを続けながらリハビリをしていくうちに、歩けるようになりました。車いすダンス自体がリハビリみたいにもなって楽しく続けられたので、本当にダンスをやってよかったと思いました」 現在は、移動などの必要な時以外は、歩いて生活しているのだそう。車いすダンスの経験が、安部さんの心と体に大きな力を与えてくれたのです。

初めての大会出場で自信に。技術磨きには歯がゆい思いも…

安部さんが初めて車いすダンスの大会に衆生したのは、12歳の時。習い始めてすぐに出場を決意しました。

「最初、先生に『大会に出てみない?』と言われた時は、誘っていただいたことが嬉しくて『えーっ!』と声を出してしまいました(笑)。結果的には最下位の賞だったんですが、私にとっては大会に出ること自体にすごく勇気を出したので、みんなの前で、車いすで踊って賞がもらえた、ということが素直に嬉しかったです。なによりも、健常者の足と一緒に、車いすという私にとっての“足”で賞がもらえたということが感慨深かったですね」

一番初めに出場した大会では、衣装も評価され、「ドレス賞」を受賞。叔母に作ってもらった衣装は、キラキラしてとても素敵だったのだとか。


「それまではキラキラした服を着て人前に出ることなんてなかったし、ひたすら学校と家を行き来するだけの生活。だからダンスを始めて、自分が変わった! と感じましたね」

そこから安部さんは練習を重ね、日本車いすダンススポーツ連盟が開催する上信越グランプリなど、さまざまなダンス競技大会で優勝や上位入賞を果たすように。難しい技にも挑戦をしてみたのだそう。

「車いすダンスには、障がいの度合いによってクラスが分かれていて、私は右半身が動かないので、最も障がいが重いクラス1で出場しています。でもクラス1にも、片手で車いすの前車輪を上げる『ウィリー』という技を入れ込んでくるすごい人がいて。自分にはできなくて、歯がゆい思いをしました。だから私は、ウィリーができない代わりに違う表現でポイントを上げようと、振り付けに工夫をしてチャレンジすることに。技術面では、悔しい思いをたくさんしましたね」安部さんの得意技は、回転。「その時の音楽にもよりますが、一度に5~6回転はできる」のだそう。クルクルと軽快に回る技術を強みとして、大会に挑んでいます。

https://youtube.com/shorts/e3KwvkPgDis
安部さんの得意な回転技

娘に輝いている姿を見せたくて、5年のブランクを経て復帰

技術を磨き、大会での成績を伸ばしたことで、ついに2014年、安部さんは「インチョン2014アジアパラ競技大会」に出場を果たします。

インチョン2014アジアパラ競技大会出場時の写真

「5位という結果でしたが、とても良い経験になりました。踊る前から雰囲気や立ち居振る舞いが全然違って、世界のレベルは想像をはるかに超えているなと感じましたね。でも、『自分はまだまだだな』と思ったと同時に、次また頑張って世界大会に出ようと思えました。私が師事している奈良光雄先生は世界大会の優勝者。私も世界大会で賞を取りたいです」

世界大会への出場で、改めて高い目標を掲げた安部さん。そんな競技生活を続ける中、プライベートでは結婚や出産を経験します。

「20歳で、約1年付き合った彼と結婚しました。友達の紹介で知り合ったのですが、彼からすごくアプローチされて(笑)。とても優しくて、障がいのことを理解しながら、いつも私を『すごいすごい』と尊敬してくれています。4年前に娘を出産し、産前産後の5年間はダンスをお休みしていました」

子育て真っ最中でダンスを休んでいる頃は、ちょうどコロナ禍に突入し、大会が軒並み中止に。距離を縮めて行う競技だけに、教室へ来る人も減ってしまったのだとか。


「5年もブランクがあれば体力も落ちるし、もうダメかなと思ったこともありました。でも、去年(2022年)に地元で大会があると聞いて、またやってみようかなと」

安部さんが復帰を決意したのは、娘さんの存在が大きかったそう。

「普段は身体が不自由で、最近は娘にも家事など手伝ってもらうことも多いんです。だからこそ、娘に『ママはこんなにカッコよく踊れるんだよ』と見せたくて、ダンスを再開しようと決めました。大会で優勝して、『ママ綺麗!』と拍手をしてもらえたのが、一番嬉しかったですね!」

練習期間は4~5か月程度でしたが、「音楽を聴くと自然と体が動いた」のだとか。長年組んできたパートナーとの絆もあり、5年のブランクを感じないほど、「ダンスの感覚を取り戻せた」と安部さんは言います。

「競技用の車いすに乗ると、『ダンスを踊る』というモードに勝手に切り替わるんです。姿勢も、自然と背筋がピーンと伸びます。体は忘れないみたいですね(笑)」


今年も10月に、車いすダンスジャパンカップ2023年に出場予定。現在も練習を続けています。

「順位は後からついてくるもので、大会は自分と向き合える機会だと思っています。前の大会からどのくらい成長しているのか、自分をどれだけ表現できるかを確かめたいです」

車いすダンスを始めて、人生が大きく変わった安部さん。コロナ禍を経て、ダンス競技人口が「以前のように戻ってきてほしい」と言います。

「車いすでも、ダンスだって踊れるし健常者と仲を深めることができます。私はダンスを通して、新しい自分に出会えました。『こんなこともできるんだ!』と自信にもなります。実は、パラの種目の中で、健常者と一緒に出場して一緒に表現できるのは、車いすダンスだけ。健常者と同じ目線で同じゴールを目指しているから、心の垣根を感じないんです。ぜひ、この感覚を体験してほしいですね。観て、『かっこいい!』とか『すごい!』とか思うだけでも、全然気持ちが違うと思いますよ!」
 


★車いすダンスに関するお問い合わせ先
・舞踏学院ダンスアカデミーNARA
群馬県前橋市上長磯町313-1メゾン50R 103号
027-212-3353
nrr04641@nifty.com
ダンサガのページはこちら
・WDN(全日本車いすダンスネットワーク)
お問い合わせフォームはこちら


安部 彩夏(あべ・あやか)さん

28歳 脳性まひ・右下半身不自由
小学校高学年から舞踏学院ダンスアカデミーNARAにて車いすダンスを始め、奈良光雄氏に師事。内閣府所管特定非営利活動法人 日本車いすダンススポーツ連盟 第8回上信越グランプリ  オープンラテンアメリカン クラスI や第9回クラスI ラテンアメリカン 5種目総合などで優勝を果たし、2014年には仁川アジアパラリンピック競技大会にも参加。その後も公益法人日本ボールルームダンス連盟 加盟団体 茨城県ボールルームダンス連盟 前期関東甲信越競技ダンス茨城県大会  車いすダンス スタンダード、ラテンアメリカンのクラスI や、全日本車いすダンスネットワーク 車いすダンスジャパンカップ2022コンビスタイル3種目総合クラスI スタンダード3種目総合、ラテンアメリカン3種目総合にて優勝。車いすダンス競技の選手として、今後も活躍が大いに期待されている。プライベートでは4歳の娘のママ。


写真:鈴木智哉 取材・文:関 由佳