※提携サイト「Co-Co Life☆女子部」からの転載記事になります。
自閉スペクトラム症のアスペルガー症候群を持つ田村健(たむらけん)さん。障がい者アート団体「パラリンアート」 に所属。彼が描くポップでかわいい作品の魅力についてご紹介します。
目次
1 パラリンアートで可能性を広げる
2 小学生のころから人間関係に悩む日々
3 企業に専属アーティストとして採用!しかし…
4 絵から生まれる人との出会いや経験をプラスに
5 障がい者アートの枠を超えていきたい
パラリンアートで可能性を広げる
パラリンアートは、2007年に一般社団法人障がい者自立推進機構の事業として開始。
以来、多くの障がい者アーティストが活躍する場を得られるようになりました。
「障がい者がアートで夢を叶える世界をつくる」を理念に、アーティストたちは制作した作品をパラリンアートに登録。
企業・個人に向けてネット上で発信し、作品がポスターや展示物などで採用されると、アーティストには利用報酬が発生し、社会参加・障がい者支援が可能になる画期的なアートビジネスです。
穏やかな口調で話す田村健さん
田村さんは2016年にパラリンアートを知り、アーティスト登録をしました。
その後は、クレジットカードデザインやカレンダーのデザインなど多岐にわたり採用され、中には商品化に至ったものもあります。
「パラリンアートに登録してから、今まで縁のなかったところから声が掛かることが多く、『自分の絵にチャンスが来た!』と思いました。
売り込みや交渉をパラリンアートにお任せしながら、私たちは作品作りに集中することができます。おかげで私が本来一人ではできないことが可能となり、仕事として依頼されるのはとても有り難いです」 パラリンアートが企業とアーティストの間に入って代行することで、アーティスト側は自分たちが描きたいと思う作品を描き続けられます。
小学生のころから人間関係に悩む日々
田村さんは1996年生まれ、神奈川県横須賀市出身。小学3年生の時に自閉スペクトラム症のアスペルガー症候群と診断され、発達障害の特性に度々悩んできました。
赤ちゃんのころから四六時中泣き止まず、ミルクを飲まないことで、母親が頭を抱えていたとか。食べられる物が少ない中、好んで食べたのは家で作った手作りクッキーでした。
小学校に上がると、成長するに連れて自分が他の子と何かが違うと感じ始めます。
思い入れのある作品たち
「今でもそうですが、空気を読んで臨機応変に行動することが難しく、説明を理解できないことがあります。忘れ物も多く、スケジュール管理は苦手で、自分のペースを乱されると動揺してしまいます。
何より大変なのは人間関係で、クラスのみんなと仲良くしたくても、輪の中に入れず会話についていけません。
はっきり覚えてないのですが、6年生の時に仲がよかった友達から仲間外れにされ、ショックで学校に通えなくなりました。
中学からは科目ごとに、支援学級と普通学級を行き来する3年間を送り、相変わらず集団生活にはなじめなかったことを覚えています」 高校では、発達障がいの学生が通うサポート校へ入学。学校行事には積極的に参加し、実行委員に挑戦するなど、学生らしい一面が見られるように。
企業に専属アーティストとして採用!しかし…
卒業後は職業訓練校で働くために必要な基礎を学び、その際に障がい者雇用で採用されたのは某大手銀行でした。
入社後は総務部に配属され、郵便の集配や備品の補充、在庫管理の担当を任されるも、またもや人間関係の壁が立ちはだかります。
「大人になっても生きづらさは続きましたが、銀行には6年間勤めました。私の障がいが見た目ではわかりにくいので、上司や同僚から健常者の人たちと、同じようなことを求められることがあり精神的に辛くなりました」 インタビュー中も、私たち取材班を気遣い、完璧に仕上げてきた資料をテーブルに置いて確認していました。
言葉を選び、過去の出来事を振り返る
その場で会う相手の表情や雰囲気をうまく読み取れない分、迷惑をかけないようにとしっかり準備をして挑んだ様子が伝わってきます。
そんな田村さんの唯一の生きがいが絵でした。子どものころから絵を描くことが好きで、学生時代から「絵で仕事をしていきたい」と思うようになります。
その後転職し、人材派遣会社で専属アーティストとして働くという幸運をつかんだ田村さん。他にも自分と同じような障がいを持つ社員たちと切磋琢磨しながら、作品を制作してきました。
ですが、残念ながら社内の事情により突然部署が閉鎖。違う部署での仕事を言い渡されるも、前向きに考えられず今年1月に退職。 現在は就労移行支援の事業所に通いながら、PC講座やPhotoshopを学び、次のステップアップに向けて気持ちを奮い立たせています。
絵から生まれる人との出会いや経験をプラスに
パラリンアートに出会ったのは銀行に勤めていたころ。どこかで作品を発表したいと思っていた矢先、偶然ネットで発見します。
アーティストとして認められ、自分の力で一歩を踏み出し、社会との関わりが持てたことは生きる励みになっていきました。
田村さんは現在、家族と相談してグループホームへ入所。将来を考え、住み慣れた実家を離れての生活も5年目になります。 普段の暮らしで見るもの、聞くもの、感じるものすべてが作品に反映され、田村ワールド全開のきれいな世界観が完成します。
カラフルで目を引く田村さんの作品
色鮮やかで、見る人に元気を与えてくれる田村さんの絵。登場する人物は、どれもにっこり笑っています。視線が上向きで、ちょっと先を見ているような表情が多く、希望が持てるイラストが印象的です。
1作品に1週間から数ヶ月かけて描くこともあると言う
風景や静物画の絵柄は、絵本や詩集に登場しそうなメルヘンな作風も魅力的で、ピアノや帽子、椅子など誰でも目にしたことのあるモチーフが絵の中心に配置されています。背景には海や紅葉など季節を描き、たとえ人物が描かれていなくても人の気配を感じさせます。
「私の作品は全て手描きです。今の時代、デジタルが当たり前ですがしっくりこないので、細かい部分や線も、筆と絵の具だけを使い、時間をかけて描いているのが自分の強みと思っています。
以前、東京藝術大学の教授から指導を受ける機会がありました。そこで『これを全部手作業で描いているのは驚異的』と感想をもらい、自信に繋がりました。
今後は日本国内だけでなく、海外にも自分の絵を知ってもらえるように浮世絵などをモチーフにした作品も描いてみようかと思います」
児童書や絵本の挿絵にも関わりたいなど、夢はどんどん広がっています。
今では絵を通じて、人との会話も楽しめるようになり、発達障がい者が集うサークルにも参加して、交流を深めているとか。
プライベートで友達と旅行に行くなど、これまでにない体験をし、学生時代に味わえなかった青春を味わえていると話していました。
障がい者アートの枠を超えていきたい
実は、田村さんは障がい者アーティストとしての強みを示す一方、将来は一般的のアート市場で戦えるようになりたいと思っています。
どの作品も丁寧に描き込まれていた
2020年東京オリンピック・パラリンピックの話題から、障がい者アートが一気にメディアで注目される時期がありました。
「自分もこの波に乗りたい」と田村さんも制作に力が入り、他にもたくさんの障がい者アーティストたちが作品を発表していました。
ですが、オリンピックが終わってからというもの、段々と障がい者アートのブームは去り、障がい者アートへの感心が薄れていくなかで、田村さんはジレンマを感じるようになります。
「オリンピックのころは世界中に作品を発信する流れで、その時は私も障がい者アートの枠の中にいた方が活動できると思っていたんです。
ただ、今は少し考え方が変わってきました。
例えば、草間彌生さんのような偉大な芸術作家のように、精神面での持病を持っている方でもアート市場に出回り、世界中で彼女の才能は評価されています。
そのような方を見ていると、私も一人の画家として、健常者の方々と同じようにアーティスト田村健として世の中に出ていきたいです。
障がいがあるなしに関係なく、作品を発表していくことで、国内外問わず一人でも多くの方に私の絵を見てもらうことが次の目標です。
そして、いずれは絵の仕事をもっと増やして、今よりも収入を得ながら、自立していきたいと願っています」
自分の作品に囲まれて笑顔の田村さん |
プロフィール
田村健さん(たむら・けん)
自閉スペクトラム症のアスペルガー症候群。
パラリンアートに登録し、障がい者アーティストとして活躍。
大手企業のからの依頼を受け、数多くの商品化に漕ぎ着ける。
全て手描きで制作し、見る人へ一筋の希望の光を届けたいと活動中。
★パラリンアート 田村 健アーティストページ=https://paralymart.or.jp/artists/details/?id=0000000000021
★田村健HP=https://ken-arttime.jimdosite.com/
★Twitter=https://twitter.com/humanhome0424s1
★インスタグラム=https://www.instagram.com/tamtam2593/?hl=ja
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写真:渡邉誠 取材・文:飯塚まりな