※提携サイト「Co-Co Life☆女子部」からの転載記事になります。

株式会社LUYL布施田祥子(ふせださちこ)さんは、出産後に左半身麻ひを患い、さらに大腸全摘出。そんな布施田さんを支えたのは大好きだったファッション。自身が考案したシューズブランドを展開し、脚に障がいがあっても履ける靴を販売しています。

目次
1⃣ インクルーシブな視点から靴作り
2⃣ 出産後、脳出血で倒れ人生が変わる
3⃣ いざ、出勤。あれ、履きたい靴がない!?いざ、出勤。あれ、履きたい靴がない!?
4⃣ 選択肢があればマーケットが広がる
5⃣ 時間を無駄にせずに今を楽しむ

インクルーシブな視点から靴作り


 自身が左半身麻ひになったことをきっかけに、「自分が履きたいと思う靴で歩きたい」とデザインから企画開発を行なった布施田さん。

 2017年、下肢装具をつけても履ける靴のブランド「Mana’olana(マナオラナ)」を立ち上げました。ハワイ語で自由・希望・期待という意味が込められています。

小柄で可愛らしい布施田さん

 どの靴も片手で簡単に履けて、留め具はマジックテープや磁石を使用。装具のサイズに合わせてベルトの長さや甲周りを調整するなど、下肢障がいのある人に寄り添った靴は全国から問い合わせがきています。

 これまでに4種類の靴を企画開発し、パンプスやサンダルは色のバリエーションも豊富。男性用のビジネスシューズはグッドデザイン賞を受賞しました。

 現在は埼玉県川口市を拠点に、土日開催の試着会を開いています。事前にカウンセリングを行い、普段履いている装具がマナオラナの靴に合うか確認をするのだそうです。

 購入した方は「自分がパンプスを履けるって思えるだけでうれしい」「病気が進行して歩けなくなっても部屋に飾っておきたい」「娘と一緒にバージンロードを歩けた」など、たくさんの方に喜ばれています。

 買う人によって思いも、シチュエーションもさまざま。布施田さんは接客のプロとして、親身に一人一人の話を聞き対応してきました。

出産後、脳出血で倒れ人生が変わる
 

 布施田さんは東京都荒川区出身。下町の商店街で祖父が手芸、和装小物の2店舗を経営し、母親が手伝っている風景をいつも近くで見て育ちます。

 元々おしゃれが好きで、常に最先端を追うファッション業界で働き、順調にキャリアを伸ばしながら30代へ突入しました。

 プライベートでは買い物が好きで、特に頻繁に買っていたのが靴。出産前まで100足近く持っていた靴は家の押し入れを改造してクローゼットと棚を作り収納したとか。
 

品のあるパンプス・サンダル

 やがて結婚し、2011年に36歳で長女を出産。帝王切開でお腹の傷もまだ癒えない中、産後8日目に脳出血で倒れ生活は一変。左手足には麻ひが残り、思うように動かせなくなります。その後は、リハビリをしながらの懸命に育児と向き合いました。

 その2年後、さらに追い打ちをかけて10代から患っていた潰瘍性大腸炎が悪化。腹痛で食べられない、眠れないという苦しい生活が待ち受けていました。思考も低下し、物事に対して悲観的になっていきます。

 2015年に意を決し大腸全摘手術を受け、人工肛門を設置。

「痛みがなくなり、よく眠れるようになってようやく人間らしい生活ができるようになりました」と当時を振り返る布施田さん。

 徐々に安定した生活を送れるようになり、社会復帰を考えるほど前向きに。障がい者雇用で採用された企業へ勤めることになりました。

いざ、出勤。あれ、履きたい靴がない!?


 仕事を始めようと、身なりを整えた布施田さんはあることに気付きます。

「履きたい靴がない」

服のコーディネートと合わない時も、仕方なく装具をつけても履ける靴を履くという行為に気持ちがモヤモヤしました。

今は車を運転してどこでも出掛けているとか

 障がいを持つことにより、改めて実感したことは選択肢がないこと。

 自分が履きたい靴が無くなり、やるせない気持ちに。「いっそのこと自分で靴を作るしかないと思いました」

 当時の職場環境は、よかったそうですが退職を決意。もっとクリエイティブな仕事をしたいとフリーランスを選び、早速どんな靴を履きたいのか考えデザインを描き始めます。

 その後は協力をしてくれるメーカーを探し回るも、簡単には見つかりません。リスクに尻込みしていく企業が多い中、一社だけパンプスを請け負ってくれる会社と出会うことができました。聞けば、代表のご兄弟が過去に下肢装具を使用していたことがあったとか。

「靴選びが大変という私の気持ちをわかってくださいました」と思いを受け入れた布施田さん。

その後はサンプル作りと試着の繰り返しを行い、1年で7.8足サンプルを作ったとのこと。福祉用具でなく、あくまでファッション性の高い靴を作るためにこだわりました。

 作るからには、決して妥協はしない。細かいディティールやライン、表には見えない細部にまで目を光らせます。少しでも違和感があれば改善し、最後まで時間と手間暇を惜しみませんでした。

選択肢があればマーケットが広がる


 障がいのある方と出会う中で、布施田さんが常に考えるのはインクルーシブな視点を持つこと。インクルーシブとはあらゆる人が、障がいの有無や国籍、年齢、性別に関係なく違いを認め合い、お互いを尊重するという意味です。

 脚に障がいがある人が履く靴というと、福祉用具と捉えてしまいがち。おしゃれよりも安全安心を重視したデザインが一般的です。ですが、布施田さんは「障がいの有無に関係なく、初めからどちらも対応できるような商品が増えればマーケットはぐっと広がる」と話します。

マナオラナ代表作のパンプス 

 布施田さんの夢は百貨店の常設店の2、3階で販売するようになること。マナオラナの靴も、購入者の2割がなんと健常者です。

 インクルーシブファッションが当たり前の時代になるために、布施田さんの新しい挑戦は続きます。

 今年4月に一般社団法人NiCHIという法人を立ち上げ、活躍の場をさらに広げました。

「今は私を含めた女性3人が集まり、それぞれがインクルーシブファッションに特化した下着や衣類などを発表しています」。今では、次世代に続く商品を一緒に作る仲間の存在が心の支えに。

 百貨店でイベントを開き、今年は一般社団法人NiCHIとしてマナオラナの靴も登場する予定。この機会に遠方のお客さんと直接会えることもうれしそうでした。

時間を無駄にせずに今を楽しむ


 最後にこれまでを振り返り、いつしか話は「時間への意識」について。

 布施田さんは子どものころから胃腸が弱く、10代後半から年に一度は入院するような生活を送っていました。入退院を繰り返していたこともあり、いつしか無意識に仕事もプライベートも無駄な時間を過ごさないように意識することができたとか。

「楽しく過ごすためにどう時間を使うかは、私にとってとても重要でした。おかげで、障がい者になってからも『好きなことをやって、行きたいところに行って、楽しく過ごそう!』と思う気持ちは変わりません」とにっこり。

「好きなことがあるのは幸せですね」と語る

 誰もがある日突然、障がいや病気を患う可能性があります。布施田さんのように、立て続けに起きた身体へのアクシデント。そこからはい上がるのは簡単なことではなかったはず。ですが、支えてくれたのは長年大好きだったファッションの世界。

「病気にならなかったら、私の人生はもっとつまらなかったと思う」と、これまでの見方や捉え方を変えて、柔軟な生き方を選ぶ姿が印象的でした。

 布施田さんだからこそ形にできた、美しいデザインの靴たち。マナオラナの靴を履けば、何か素敵なことが起こりそうです。

 そんな夢のある靴をぜひ一度、あなたも履いて確かめてみてくださいね。

株式会社LUYL代表 
2011年に長女を出産後、脳出血で倒れる。
2015年持病の潰瘍性大腸炎が悪化し、大腸の全摘手術を行う。現在はクローン病に変異し治療中。
2017年下肢装具を付けても履ける靴Mana’olana(マナオラナ)のデザイン・企画開発に乗り出す。困難を乗り越え、インクルーシブな視点を持ち企業や教育現場にも足を運び講演会 やワークショップを行う。好きなアーティストは嵐・韓国のアイドルSEVENTEEN。
公式HP https://manaolana.jp/story/
Instagram・試着会のお知らせなど https://vir.jp/manaolana_cyl

 

写真:阿部謙一郎 取材・文:飯塚まりな