夫Bさんと妻はダウン症のお子さんを愛してやまない。積極的に愛おしく子育て中だ。Bさんが話してくれた。「もし、不安を感じておられる方がいらしたら、少しだけお手伝いできればという気持ちで、お話します」


目次
1.    無言のスマホを握り号泣するBを、暴風雨が容赦なく撃つ
2.    母は強し

スマホを握りしめる手 苦悩のイメージ

写真はイメージです

1.無言のスマホを握り号泣するBを、暴風雨が容赦なく撃つ


 その子は帝王切開で生まれた。保育器に入った子の顔を見て少し違和感を覚えたのは、妻も同じだった。嬉しさに少しの不安があった。
 病室で妻は寝ている、夫だけが主治医に呼ばれた「酸素が十分ではない、肺が小さい。また、ダウン症の可能性があります。先天的に心臓に穴が空く疾患がある可能性が高い為、エコー検査をする必要があります」と突然告げられた。

 ここは、妻の実家近くの、宮崎の地域の産婦人科病院だったので、そんなに小さくはないが、大きな宮崎県立病院に子を連れて行くことになった。出産直後の妻には心労をかけたくない。肺が小さいから病院を移すよと伝え、心臓に異状がないのを確認し、Bは保育器のままの子を抱え看護師とタクシーに乗った。丁度その時、大型台風が来ていた。

 県立病院で、点滴、再度の心臓検査、3時間待って、医師に呼ばれた。
「ダウン症の疑いがある」。頭が真っ白になった。子の顔に違和感があったのはこれか。
 生まれたことを、親にも、どう伝えたらいいんだろう。

 県立病院の検査が終わり、妻の父親に車で迎えに来てもらうことになった。時間外なので病院建屋の外で待つ。そこへ実家の母からの携帯電話が鳴った。全て話すと、母は絶句した。何かが壊れるように泣き崩れたBに、台風が雨をたたきつける。

 混乱していた。どうすればいいか。帰りの車の中で、医師の話を妻の父親に伝えた。「スミマセン」と言った。何と言えばよいのか全くわからなかった。

病院の廊下と壁時計 落ち着かないBのイメージ

写真はイメージです
 

 障害を持った家族ができる、生まれた後にわかる。受け容れるのか、何で、答えはない。緊迫した状況が続く、精神的負荷を覚える。
 妻の病院に戻り、肺が小さい、NICUに入って管がついている、とだけ伝えた。

 眠れない。スマホで色々調べ始めた。このあと戻る埼玉県にはダウン症に対してどういうサービスがあるのか?これは直るのか?学校?いじめ?働ける?
 子育てというよりもこの子の人生のイメージがつかない、真っ暗で全く先が見えない。
 妻には言えず、スマホで調べたりメモを書いたりして、気を落ち着かせようとした。

 

2.母は強し


 3日目、妻は帝王切開後、初めて外出が許された。
 一緒にNICUに入り、妻は産後2回目の子との対面となった。
「ダウン症の疑いがあります」その言葉を初めて聞いた妻は、正面から主治医をじっと見つめていた。泣かなかった。「母親は強いんだなと感じた」思い出してBは泣いた。

 ふたりでこれからのことを話合ったが、何も答えは見つからない。翌日、Bは仕事があるので埼玉の自宅へ戻る。妻は毎日実家で搾乳して病院に通って我が子に母乳を届ける。Bは平日は仕事、週末は子供と妻のもとへ通う。出産、仕事、さらに引越しも重なり、バタバタと毎日が過ぎるが、何をして良いかわからない。暗中にいて模索もできない精神状態。

「正式な検査の結果、ダウン症が確定した」妻から電話があった。実父に電話で伝えると「そうか」とだけ。「何故?」実母が問う「あんた頑張っているのになぜ」辛かった。

 どうすれば良いのか。出産した病院からはダウン症の子に対する支援の情報はない。仕事していてもふと手が止まる。引越し、住所変更届、出生届。しなきゃならないことは次々やってくるが、頭がぼーっとなり、急に泣き出す。それをずっと繰り返す。
 職場で「出産おめでとう」と言われても、どう反応したらいいか解らない。

「ありがとう」上っ面で答える。言えない本音とのギャップもきつい。


次は、Bさんに転機がおとずれます 次を読む
3.なるほど、自分は今この段階にいるんだ!

 

参考リンク
1.    でっかい坊さんの心のお寺 ダウン症の子が生まれた
2.    書家 金澤翔子さん https://k-shoko.org/
 

 

文と写真 らくゆく編集部