JAHLI(ジャリ)こと生方亮馬さんは、20年前に頸椎損傷で車いすになり、5年ほど前にパラサーフィンを始めた。2025年5月30日 - 31日 静波サーフスタジアムで行われたSHIZUNAMI PARA SURFING FESTAに参加した。(冒頭の写真)
 2024年には ISAパラサーフィン世界選手権大会に日本代表選手としてプローン 2のクラスで参加した。https://isasurf.org/learning/para-surfing/
 パラサーフィンで世界一を目標とし、2032年ブリスベン・パラリンピックでの採用を目指して、普及活動にも熱心だ。
 人生の核になっているレゲエの演奏活動にも力を入れる。
 精力的なJAHLIの原動力を聴いてみた。

目次
パラサーフィンと電撃的バディ
静波
おれはJAMAICANになりたい
アニキ 気持ちを動かす
ジャマイカが俺の中で生きてる
無くした100万個よりも大切
パラサーフィンのクラス
最後にこれだけは言っておきたい

 

 

パラサーフィンと電撃的バディ

SIA2024世界選手権大会での記念撮影

2024 ISAパラサーフィン世界選手権大会にて 
「右後ろがピッチャーのムネオくん、左側がキャッチャーのイナちゃん」
 

 サーフィンって、相手がいいの乗っても、自分がいいのに乗っても、みんな敵もいいと言ってくれるというか、讃え合えるスポーツだと思う。パラだとなおさらそういう面が大きい。そういうのも結構面白いなと思う。
 競うもありますけど、何かこう、こんな(乗り方の技の)選択肢あるぞとかそう言うん(自慢)じゃなくて、自分自身を高めていく部分とかが面白いというか、何かいいなと思いますね。(筆者付記)
 それで、相手が自然なので、そこもまたいいなと思って。やっている人たちも気持ちいい人たちが多い。

ISA大会で堤防から岸の方を眺めるJAHLIさんとイナちゃん

 2024 ISAパラサーフィン世界選手権大会でJAHLIと電撃的にバディを組まれたムネオさんも、支え合い讃え合う光景が強く心に残った、と書いている。Blue 2025 April No.105 https://www.blue-mag.com/

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静波
SHIZUNAMI PARA SURFING FESTA 2025

退会表彰式の記念撮影

 2025年5月30日 - 31日 静波サーフスタジアムで行われた大会に参加した。

 SHIZUNAMI PARA SURFING FESTA は 日本国内最大規模イベント
 一般社団法人 UNIVA(ユニバ)が主催となり、2022 年 7 月”国内初&最大規模のパラサーフィンイベント“第1回【静波パラサーフィンフェスタ】を日本初の大型サーフィンプール「静波サーフスタジアム PerfectSwell®」にて開催された。

「今ある物事にユニバーサルな価値を付加する」をミッションに、パラサーフィン挑戦へのバリアを取り除くことを目的としている。未経験者から世界のトップまで、全員が楽しめる世界唯一のオール・インクルーシブ・パラサーフィンイベント。https://parasurfingfesta.jp/
 

記念に頂いた写真立て 豪快に波に乗るJAHLIが映る写真

SHIZUNAMI PARA SURFING FESTA 2025 の記念の写真立て


 昨年より成長を実感できた。次は1位を確信している。

 JAHLIのボードには、彼が関わる多くの人たちの想いも一緒に乗っているのだ。
 彼が影響を与えるのはパラサーフィンだけではない。

静波で波に乗るJAHLI

SHIZUNAMI PARA SURFING FESTA 2025

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おれはJAMAICANになりたい

 家業は大工。父親のもとで修業して、大工として働いていた。
 クールランニングというジャマイカの実話映画を見た。夏季オリンピック選手選考会で、転倒事故に巻込まれて夢を断たれた主人公たち。ボブスレーなら絶対冬季オリンピックに出られる。南国ジャマイカには他に競争相手がいないから。と、行動開始する。ぶっ飛んでる、面白い。
 オリンピックに走りでダメだったやつが、新たに別の道を探す。ボブスレーだったらいけるっていう、そういう考え方もきっと惹かれた何かかもしれないですね。
 初めてジャマイカも知り、レゲエも知った。友人に誘われて日本で流行り始めたレゲエ聴くようになって、好きになって。誰も行ったことないから行ってみようってなって、ジャマイカに初めて行って。

レゲエを歌うJAHLI バックにはバンドメンバー

 俺はジャマイカ人の所作、歩き方がカッコ良かったんで、乗っている感じがある動きとか、食べ物も音楽もだし、色々なものに、もうジャマイカに惹かれちゃって、ジャマイカ人になりたいとなっちゃって。5年後の24の時に留学じゃないんですけど、2年半ぐらいジャマイカに行ったんですよね。
 ジャマイカは貧しい、けれど誰もがたくましい。ないものは作ればいいし、あるものは他の使い方をしたって良い。現地の大工仕事で生計を立てながらレゲエとJAMAICANになる修行にあけくれていた。


 そのさなか、暑さで川に飛び込み、事故に遭った。
 頸椎損傷…。緊急手術がおこなわれストレッチャーのまま飛行機へ、日本に緊急輸送。

車いすに乗ったJAHLIの正面写真

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アニキ 気持ちを動かす

 JAHLIをアニキと慕う奴がいる。ダイバー改めサーファー翔太。
 二人が出会ったのは2005年。所沢にある国立のリハビリ病院で偶然4人部屋の同室になった。最初は二人とも、身動きすらできない状態。やがて、リハビリが始まる。他の患者たちが、いやいや、泣きながらやっている中、二人はリハビリを自ら楽しむようになった。
 これといった会話はなかったが、「レゲエ聞くんすか」ある日の挨拶から意気投合した二人は、病院中車いすを乗り回し、修学旅行生のように賑やかに盛り上がった。周りに人が集まるようになった。他の病室では、障がい者になったことを受容れられず暗い部屋が多かったので、看護師が皆、JAHLIたちの部屋の担当になりたいと言った。

JHALIと翔太 車いすで対面

気持ちを動かす

 男性Aさんが同室になった。見るからにヤバかった。落ち込んで死のうとした。訪れる妻には激しく辛く当たった。「あの言い方はないよ」JAHLは独り言のように声をかけた。
 それまで二人の会話を遠くから見ていたAさんは、少しずつ近づいて、話の輪に入るようになった。退院する時にはAさんはすっかり変わっていて、ご夫婦ともに笑顔になっていた。今も翔太と年賀状でつながっている。

砂浜のJAHLIと翔太 冬の陽を浴びてうれしそう

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ジャマイカが俺の中で生きてる

 ジャマイカは貧しいので、大変なんですよ。だけど、笑っているんですよね。なんでかって聞いたら、大変なことを大変だと言っていたら、いつまでも大変なままだ。先には進んでいない。どうせ同じ大変なら笑っていた方がいいだろう。そうしているうちにまた別の、新たな道も開けてくると。ジャマイカ人全部がそういうふうに思うわけじゃないですけど、自分は現地の人たちに聞いたり、見て感じたりした。
 やっていた道が断たれちゃって。そこでやめるんじゃなくて、また新たな道を見つけてそこを目指す。その何かすごい、何かそれでいいんじゃないですか。

堤防を東大に向って進む車いすのJAHLIさん

 元々、日本を出る前は、何がない、何が足りない、これが欲しいって。人と比べてあいつが持っているものが欲しいとか、そういうの。根っこにすごいいっぱいあったんです。けど、ジャマイカで、一切、興味なくなって、考え方180度変わった。結構やれることっていっぱいあるなとか、できるけどやらないからできないだけなんだなとか。
 向こうは本当に物が見つからない。今は大分違うけど、本当にガーゼ1枚、絆創膏1個が、田舎行っちゃうと、なかったりするんですよ。そういうところを通ってきたら、日本にはもう無いものは何もないよなって。日本なんてどれだけ恵まれているの? みたいに思えるようになって、そこから、すごく幸せを感じるハードルが下がった。本当に、布団で寝れてね、帰る場所があって、その日飯は食えていることが幸せ、それだけで恵まれているんだなと思えるようになった。

静波の大会で会場の車椅子を押されて移動するJAHLI 満面の笑顔

SHIZUNAMI PARA SURFING FESTA 2025

 

 こうじゃなきゃダメみたいな、のがあったけど、いやそうじゃない。使えるんであれば、どういう形でもいいとか、すごく広がった。向こうに行って掘っ立て小屋のドアの上に、土嚢の袋が畳んで刺さってて、あれ何?ゴミじゃねえのか?と言ったら、見てろって。何するのかなと思ったら端っこ切って、洗剤つけて皿とかを洗い出した。ガサガサしているから、あれはそういうことにも使えたりする。
 結構衝撃で。サバイバルを目の当たりにして、それでいいんだ。何かが整っていなきゃいけないとか、そういうことじゃないんじゃねーの?ってすごく感じさせられて。やり方は何でもいいんだよな、その人その人でやり方は違うけども、目指す先は同じ。道は違えどって感じ。
 若いころから、何かどこかでどうにかなると漠然と思っていたのが、ジャマイカに行ったらやっぱりこれでいいじゃん。それで間違いじゃなかった。そういう考え方でもいいんだ、これでいける。自分にとっては結構大きな、人生変わった。ジャマイカ体験があって、何とかしていかなきゃしょうがないね。みたいな気持ちを得た。

 そのあとで、衝撃の事件が起きちゃうわけです。

 

楽しそうに話す、JAHLIと翔太

 その時には、頸椎損傷になったけれども俺は生きていけるって思えたのは、やっぱりジャマイカがあったから。それはすごく大きい。めちゃくちゃ思います。ジャマイカの経験は俺の中でものすごく力になっています。そのおかげで生きていられる。行ってなかったら、今はなかった。
 逆に行っていなかったら首折ってなかったでしょって、言われてもそれはそうだけれども、俺は行ってよかったと思っているんですよ。生きててよかった。後悔はしてない。やってしまったことは、やっちゃったなって感じです。おかあさんごめんなさい。

カメラに向かって笑顔を見せるJAHLI

 本当にジャマイカに俺は生かされている。大げさじゃなく、今ここに座っていられるのも、そのおかげ。歌もそうだけど、楽しいって感じてもらえる、言ってもらえる。この経験があって、それを、そこで培ったものを使って喜んでもらえている。だからジャマイカがなかったら、俺は今こうはなっていないです。間違いなく。

青空の砂浜で日光浴する車いすの翔太とJAHLI 後ろには小さなシェードがいくつか張られていて 多くの人がサーフィンの練習中だと思われる

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無くした100万個よりも大切

 口じゃ、できないことはないとか、なんだってできる、と言うけど、現実的には、できなくなっちゃったことが、もう100万個あるんですよ。丘があったら登りたい、上に何かあったら見に行きたい。だけど今現実問題それできないじゃん。芝生に寝っ転がってコロコロ転がりたい。もう、そういう細かいことを言ったら本当に100万個できなくなっているんです。だけれども、もうそこを言っていってもしょうがないって思える。
 もしかしたら、この経験がなかったら、無くしたもの数えすぎちゃってたかもしれないなとは思います。でも、大変だ、大変だ、なんて言っていてもしょうがないよ、とか、現実を受け入れて、どうしていくとかっていう風に考えられるようになったのは、ジャマイカに行ったことが大きかったかな。

レゲエに乗せてJAHLIは心境を歌う

 


俺を見て、あいつが出来るなら俺にも出来ると思ってもらえたら、それでいい。

俺を見て、カッコいいからああなりたいと思われたらもっといい。

生きていることは楽しい。やればできる。みんなに伝えたい。

今日も歌う 波に乗る

海岸の堤防の上に、分解した車いす、乗り換えて波に乗ってるんだなと感じる写真、曇天の奥に小さく富士山が見える 静波での一枚

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パラサーフィンのクラス

 全部で9つのクラスがあります。パラサーフィンの競技人口を増やして、パラリンピックの正式種目になるように活動がなされています。
スタンド 1 上肢切断、先天性もしくはそれに相当する障害、低身長で立った状態で波に乗るサーファー
スタンド 2 膝下の切断、先天性もしくはそれに相当する障害、または脚長差があり、立った状態で波に乗るサーファー
スタンド 3 膝上切断、両下肢切断、先天性もしくは障害同等の状態で、立った状態で波に乗るサーファー
ニール 膝上切断、または両下肢切断、または先天性もしくはそれに相当する障害を持つ、膝をついてパドルを持たずに座った姿勢で波に乗るサーファー
ウェーブスキー パドルを持って座った状態で波に乗り、パドリングや安全にボードに戻るためのサポートを必要としないサーファー
プローン 1 腹ばいの姿勢でパドリングして波に乗り、安全にボードに戻るのに助けを必要としないサーファー

静波で波に乗るJAHLI

プローン 2 腹ばいの姿勢で波に乗り、パドリングやボードへの安全な乗り込みに補助が必要なサーファー
 JAHLIさんはこのクラス。日本では少ないけど、世界ではこのクラスの競技人口は結構多い。

視覚障害 1 IBSA分類B1レベルの立った状態で波に乗るサーファー
視覚障害 2 IBSA分類B2、B3レベルのスタンディングポジションで波に乗るサーファー。
 

NSA 公益社団法人日本サーフィン連盟 https://www.nsa-surf.org/ 
ISA 国際サーフィン連盟 https://isasurf.org/learning/para-surfing/

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最後にこれだけは言っておきたい

TOPPANで取材を受けたJAHLI

 俺より軽症の二人組みの男の人来て、ウエット着て、砂浜の水辺まで来ても、ガッチガチになってて、どうすればいいんだろうってなってて。そば通って、こんにちはって、自分がバチャバチャボード乗って水に入っていったら、それ見て、ええ? みたいな驚いた顔しているから、何やっているんですか、大丈夫ですよと言ったら、恐る恐る入ってきたんですよ。そしたら、全然何でもできるから、めっちゃ楽しく遊んで 帰っていた人とかもいるんですよ。
 そこに来れば、やっている人たちを見て、自分でもヒントを得られると思う。だからその現場にまず来たらいいと思いますね。一歩出る。
 やりたいと思ってやり始めると、周りに助けてくれる人は必ず出てくるので、まずは (何でもいい)始めることをお勧めします。


JHALIさん取材ご協力ありがとうございました

 

NSA 公益社団法人日本サーフィン連盟 https://www.nsa-surf.org/ 
ISA 国際サーフィン連盟 https://isasurf.org/learning/para-surfing/
SHIZUNAMI PARA SURFING FESTA 2025 https://parasurfingfesta.jp/
Blue https://www.blue-mag.com/
 JAHLI channel @jahlichannel614

 

出演・写真映像提供 生方亮馬、 撮影 寺川健一、 文 らくゆく編集部

 

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