今年のGWは、長野県の歴史スポットを巡る弾丸ツアーに出かけました。長野県といえば松本城や上田城など戦国時代のお城で知られていますが、今回は実家のある神奈川県から山梨県を経由し、一般道で約6~7時間かけて川中島古戦場跡や、その戦いで重要な役割を果たした松代城跡を訪れました。戦国ロマン漂う古戦場や城跡をめぐり、長野の歴史と風景に触れる充実した旅となりました。
 



川中島古戦場跡

5月1日(木)のお昼前に川中島古戦場跡に到着しました。
周囲を木々に囲まれ、静かながらも歴史の重みを感じさせる特別な雰囲気が漂っています。川中島古戦場は北信濃の覇権をめぐって、甲斐の虎・武田信玄と越後の龍・上杉謙信が五度にわたり激しく戦った場所として知られています。中でも、激戦が繰り広げられた第四次合戦が最も有名で、日本史に名を残す戦いの舞台となった地です。

第四次川中島の戦いは1561年に武田信玄と上杉謙信という戦国屈指の名将が激突した歴史的な合戦です。信玄は新築した海津城(かいづじょう※現在の松代城跡)を拠点に勢力拡大を図り、対する謙信は1万3,000の兵を率いて妻女山(さいじょさん)に布陣しました。
一方、武田方は2万の大軍で臨みましたが、慎重な信玄は山本勘助(やまもとかんすけ)の進言を受け、兵を2手に分ける「啄木鳥(きつつき)戦法※1」を採用。しかし、謙信は海津城の炊煙から武田の作戦を見抜き、夜のうちに八幡原(はちまんぱら)へ軍を進めます。
翌朝、霧が晴れ上杉軍が現れ、武田軍は不意を突かれて大混戦。信玄の実弟、武田信繁(たけだのぶしげ)や軍師・山本勘助など多くの名将が討ち死にする激闘となりました。
その後、武田の別働隊が合流して上杉軍は両側から攻め込まれますが、謙信は自ら信玄の本陣に突入する伝説の一騎打ちも生まれました。最終的に両軍とも大きな損害を受け、勝敗は決しないまま戦いは終結したとされています。
 

※1…「啄木鳥(きつつき)戦法」とは、武田信玄の軍師・山本勘助が考案した戦法で、キツツキが木の虫を突いて捕らえるように、別働隊が敵を撹乱して山の裏から本隊で挟撃する作戦のこと。

川中島大合戦図(第四次合戦 1561年)武田、上杉の動きがわかります

川中島の戦いといえば、やはり「武田信玄と上杉謙信の一騎打ち」のシーンが印象的です。上杉謙信が単騎で武田信玄の本陣に斬り込み、信玄が軍配で謙信の太刀を受け止めたという伝説的な場面は戦国史の中でも屈指の名シーンとして語り継がれています。この劇的な一瞬が、川中島古戦場の象徴となっています。

上杉謙信(右)の太刀を武田信玄(左)が軍配で受け止める一騎討ちの像

今回、初めて伝説の一騎打ちを再現した像を目にし、その迫力と歴史の重みに思わず感嘆の声を上げてしまいました。周囲にはほかにも見どころが点在しており、歴史の息吹を感じながら次の目的地へと向かいました。

武田・上杉両雄
一騎討ちの地 八幡原の石碑

川中島古戦場八幡社

 

三太刀七太刀之跡の石碑

八幡社御由緒

 



松代城跡

川中島古戦場から車で約10分、次に私が向かったのは松代城跡です。
松代城はかつて戦国武将・真田家ゆかりの城として知られ、歴史愛好家にはたまらないスポットです。城跡に到着すると、美しい石垣や堀が当時の面影を残し、その壮厳さに圧倒されます。のんびりと敷地内を散策していると、四季折々の自然も楽しめ、静かな時間が流れます。川中島の激戦の地を見学した後、松代の歴史に触れることで、戦国時代のロマンと長野の文化をじっくりと味わうことができました。

正面から見た松代城跡。石垣と門と緑の混同が良かったです

松代城跡(別名:海津城)は国指定史跡で100名城の一つ。武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を競った川中島合戦で武田側の拠点として築城されたといわれています。当時は海津城と呼ばれ、武田信玄に命じられて山本勘助が築城したとされています。自然の地形を生かした天然要塞で、江戸時代に真田信之(さなだのぶゆき)が上田城から松代藩主として移った後は、真田氏10代に渡って城主としてこの地を治め、10万石の城下町を形成しました。

松代城の歴史と地図、日本100名城スタンプの案内 ※日本100名城スタンプは松代城から少し離れた「真田邸」にあります
太鼓門前橋からみた長野の山々

松代城の見どころは、千曲川(ちくまがわ)の自然を活かした「天然の要塞」としての地形、土塁と石垣で構成された防御機能、そして太鼓門や北不明門などの特徴的な城門です。特に、本丸北西隅の石垣は江戸時代初期の野面積みが復元され、当時の姿を感じられます。また、城下町に位置し、隣接する真田邸や文武学校などの歴史的建造物と合わせて、戦国・江戸時代の雰囲気を満喫できる点も魅力です。

太鼓門前橋から見た太鼓門
東不明門前橋。長野の山々が見えてます
北不明門。車いすでも先に行けるようにスロープがあります
井戸跡
井戸跡から見た北不明門と石垣

松代城跡を巡る途中、太鼓門前橋で記念撮影を行いました。自撮り棒を使って撮影に挑戦しましたが、風が強かったせいか、なかなか思い通りのアングルで撮ることができませんでした。それでも歴史ある太鼓門前橋を背景に、旅の思い出をしっかりと残すことができたのは嬉しかった体験でした。

自撮り棒で撮った写真。車いすを映すのは難しかった

 



真田信之公の像

松代城跡散策の途中、「真田邸」近くで真田信之(さなだのぶゆき)公※2の像に出会いました。この像は2022年12月に松代入城400年を記念して建立されたものです。堂々たる姿の信之公が、かつての松代藩主としてこの地を見守っているかのよう。歴史の節目を祝う新たなランドマークとして、訪れる人々に真田家の伝統と誇りを伝えています。

※2…真田信之(信幸)は、1566年に真田昌幸(さなだまさゆき)の長男、後に真田幸村の名で知られる信繫(のぶしげ)の兄として東信濃で生まれました。父・昌幸は武田信玄に仕えて頭角を現すも、武田家滅亡後は生き残りのために各有力大名に従属しながら、知略と決断力で戦国乱世をしぶとく生き抜きます。
1585年の「第一次上田合戦」では、信之はわずかな兵力で徳川軍を撃退して真田家の名声が高まりました。敗れた徳川家康にとっては敵に回したくない存在になり、後に徳川家康は、重臣「本多忠勝」の娘・小松姫を嫁がせて、真田家と良好な関係を築こうとしています。その後、豊臣秀吉の天下となった「小田原の役」で戦功を上げて沼田城主となり領地を回復します。しかし、豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いを目前にして真田家は東軍・西軍に分かれ、「犬伏の別れ」で家族が敵対する決断を下します。
信之は徳川方に与して徳川秀忠軍に加わるも、故郷の上田城を攻める「第二次上田合戦」では父・昌幸と弟・信繫と対峙。兄弟対決は血を流さず終わります。戦後は父と弟の助命を嘆願しますが、結果ふたりは九度山(現在の和歌山県伊都郡九度山町)へ流されました。一方、信之は上田藩主となり、荒れた領地の復興に尽力。父と弟への援助も続けました。
その後、松代藩主に転封され、91歳まで現役で藩政を担い、江戸幕府や徳川家からも深く信頼されました。93歳でその生涯を終えた信之は戦国乱世にあって真田家の存続に尽力し、父・兄弟と共に名を残す名将として歴史に語り継がれています。

真田信之の銅像

 



真田宝物館

さらに散策を続けていると、「真田宝物館」が目に留まりました。館内にはスロープが設けられており、バリアフリーにも配慮されています。今回は時間の都合で見学は叶いませんでしたが、次回訪れる際には館内をゆっくりと巡り、真田家の貴重な歴史資料に触れてみたいと思わせてくれるスポットです。

真田宝物館にはスロープがあります

 



松代城跡 バリアフリートイレ情報

・松代城跡管理棟近くにあります
施設内のトイレに設置された男女の案内マークがひときわユニークなデザインとなっています。男性用は「殿方」、女性用は「姫」と表記され、和風の趣を感じさせる標示が特徴です。この遊び心あふれる表示は来場者に親しみや楽しさを与えるだけでなく、施設の雰囲気づくりにも一役買っています。普段とはひと味違う、ユニークなトイレ表示に思わず足を止めてしまう方も多いのではないでしょうか。

男女別々にバリアフリートイレがあります
バリアフリー男子トイレ。中は清潔感があります
洗面台。清潔感がありました
バリアフリートイレの鍵。シンプルな細長いものでした


今回の旅では、川中島古戦場の広大さに圧倒され、すべてを巡ることはできませんでしたが、それぞれのスポットで歴史の息吹や独特の雰囲気を存分に感じることができました。松代城跡ではバリアフリー設備が充実しており、快適に散策できたのも印象的です。惜しくも時間の関係で真田宝物館などには立ち寄れませんでしたが、川中島古戦場・松代城跡ともに、ぜひ再びゆっくり訪れたいと思うほどの魅力にあふれていました。
その後、新潟、山形、秋田、岩手、宮城と東北各地を巡りながら、各地で美味しい食事と美しい景色を満喫しました。そして5月3日(土)には、山形県米沢市で開催された「上杉まつり」にも訪問。現地では偶然知人と再会し、会話に夢中になったため、写真は数枚しか撮影できませんでしたが、思いがけない交流と東北の魅力に触れる、思い出深い旅となりました。

山形県鶴岡市にある道の駅から見た風景。
米沢の相生橋から見た最上川と山形の山々
上杉祭り。川中島の戦いを用いたお祭りです
信玄と謙信の一騎打ちのシーン


次回の弾丸ツアーは夏の時期を予定していますが、次はどの歴史の舞台へ足を運ぶべきか、今から楽しみに思いを巡らせています。


写真/文:大ちゃん
 



最後に簡単な自己紹介をさせて下さい。
<自己紹介>
◯ハンドルネーム/大ちゃん(大仏ガンタンク) ◯年齢/46歳
◯障害名/胸椎損傷 30年車いす使用
◯移動手段/車いす(自走)と車
◯趣味/横浜F・マリノスサッカー観戦
    ダーツ
    お城、お寺、神社、道の駅、夕陽が綺麗な場所巡り
◯座右の銘/明るく、楽しく、一日ひと笑い
      弱気は最大の敵
 



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